「六郷のカマクラ」四方山話

700年余りの歴史がある伝統の祭り

天筆

竹うち(3回戦)


「六郷のカマクラ」は、2月11日から15日にわたって行われます。
豊作、安全繁栄を祈る“年ごい”と凶作や不幸を除去する“悪魔払い”、そしてその年の吉凶を占う“年占い”の三つが一体となった行事であり、観光化が進む東北地方のカマクラの中でも、今なお小正月行事本来の姿を保ち、住民の伝承欲も高いことから、昭和57年1月14日に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
この行事は、京都御所で行われていた正月の火祭“左義長(さぎちょう)”の吉書焼きの遺風をうつしたものといわれ、鎌倉初期、二階堂氏が六郷の地頭となり、鎌倉幕府の“吉書初め”の行事をもたらし、豊作祈願の火祭として続いています。
11日の“蔵開き”“天筆書初め”、12日の小正月市と天筆掲揚、鳥追い小屋づくり、15日の“天筆焼き”“竹うち”までの一連の催しを「六郷のカマクラ」と呼び、この形が定着したのは江戸初期のころといわれています。中でも“天筆焼き”と“竹うち”は、この行事のクライマックスです。

 

天筆・天筆書初め・十二日市

天筆書き体験

天筆


子どもたちは11日、「天筆」を書いて翌日に備えます。天筆は、緑、黄色、赤、白、青(みぎあしあお)の順にに色紙をつなぎ合わせて作りますが、昔は半紙を横に三つに切って貼り合せた白紙のものもありました。長さは各自の好みにもよりますが、3~5メートルほどです。また、以前は、その家庭の男児の人数分の天筆のみを準備し、女児の分は作らない習わしだったそうです。天筆は青竹の先に結んで家の外に掲揚します。沿道に掲揚されたたくさんの天筆が風になびく様子は壮観です。

天筆に書く文句は様々なものがありますが、以下は代表的な文言の例です。
『奉納 鎌倉大明神 天筆和合楽 地福円満楽 〇〇〇〇楽 あらたまの 年のはじめに筆とりて よろずの宝 かくぞあつむる 〇年正月吉日 氏名 敬白』

はじめに『奉納 鎌倉大明神 天筆和合楽 地福円満楽』と書き、次に自分の願い事を書きます。最後には『あらたまの 年のはじめに筆とりて よろずの宝 かくぞあつむる』という和歌を一首書くのが決まりです。五穀豊穣楽、天下太平楽、家内安全楽というものもありますし、現在では、交通安全楽、恋愛成就楽といった時代をうつした願い事もあります。
天筆は「吉書」、つまり書初めであり、子どもたちが自分のものは自分で書き、自分で書けない幼年者のものは父兄が代筆するのが習わしでした。寺子屋があった時代には、習字の手本に“天筆手本”というものがあって、それを習わせたこともあったそうです。現在は、小学校、中学校の授業で天筆を書き、地域の伝統文化の継承に努めています。

12日には「十二日市」が開かれます。現在は、十二日市の様子を目にすることはできませんが、この日は小正月年越しの準備をする日でした。以前は、人々が露天市でメメンコ(ネコヤナギ)を買う風景も見ることができたそうです。

 

蔵開き

旧暦の正月11日(現在は2月11日)は、「蔵開き」の日です。当時、地主は、元旦から閉ざしていた蔵を開き、この日から米出しを始めました。蔵開きの日は、蔵の前に据え膳を置いて灯明をともし、持ち手のある大きな鍵を供えて拝むのが習わしでした。また、商家では、新しい大福帳を作って一年の繁盛を祈るという節目の日でした。
「蔵開き」と聞くと酒蔵をイメージする方も多いかもしれませんが、このような習慣から「蔵開き」と呼ばれるようになりました。

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鳥追い行事

鳥追い小屋

鳥追い小屋内観


『正月どごまできた クルクル山のかげまで 何おみやげもってきた 松とゆずり葉とデンデン串柿もってきた あしたの晩(ばんげ)かまくらだ 大根(でご)と牛蒡(ごんぼ)ど煮でおけ』

六郷のカマクラが始まると、各町内で「鳥追い小屋(鳥小屋)」と呼ばれる雪室作りが始まります。鳥追い小屋は、40~50センチ四方の雪を積んだ壁の上に、茅を編んで作った筵(むしろ)を載せて作ります。 屋根が雪でないのは、子どもたちが中に入って炭火を焚いてもガス中毒にならないよう工夫した先人の知恵と考えられています。 この中に「鎌倉大明神」がまつられます。また、鳥追い小屋の製作と同じく、雪の神殿(雪宮)が作られます。以前は、子どもたちが互いの町内の鳥追い小屋を訪問し合い、鳥追い唄を歌って過ごしたそうです。
15日には、小正月の餅つきを行い、柳まゆ玉を作って神棚に飾ります。まゆ玉は餅花、団子花とも呼ばれ、柳の小枝にまゆ玉の餅を付けて作ります。これは稲穂をかたどったもので、神棚や米俵の上に立てて豊作を祈願します。各町内のカマクラ本部である鳥追い小屋・雪宮の周辺にはたくさんの青竹が立てられ、「竹うち」に向けた戦気がいよいよ充満していきます。

 

カマクラの準備

木貝

まゆ玉

青竹


15日は、「六郷のカマクラ」の最高潮である「竹うち」と「天筆焼き」が行われます。
カマクラ畑の中心部には、注連縄や門松などの正月飾りがまとめられ、二つの松鳰(まつにお)が作られます。その間に注連縄を張ることでカマクラの準備ができあがります。
午後になると、各町内のカマクラ本部前では男衆による“力餅”の餅つきが威勢よく行われます。夕刻には、『ボヘー ボヘー ボヘー』と“木貝”の音が静寂を破って鳴り響き、各町内で必勝祈願の出陣式が行われます。そして午後7時過ぎ、煙火の合図とともに、沈黙していた町の中が急にざわめきだし、各町内で出陣式を終えた男衆が青竹を担いでカマクラ畑に向かいます。いよいよ竹うちが始まります。

竹うち・天筆焼き

「竹うち」は、旧羽州街道を境に町を南軍、北軍に分けて3回行われます。この夜使用される青竹は数千本に及ぶといわれ、折れた竹は新しい竹と取り替えます。北軍が勝てば豊作、南軍が勝てば米の値が上がるといわれています。

竹うち1回戦・2回戦

午後8時頃になると、けたたましいサイレンの合図とともに竹うち1回戦が始まります。両軍の息詰まるような沈黙が破られ、場内は人と竹の修羅場となり、バラバラバリバリとう竹の打ち合う音、割れる音が入り混じります。ライトの灯りが雪を青白く映し、奮戦する男衆を闇の中に浮き出します。周辺で見守る家族や観衆は、大きな声援を送り、木貝がひっきりなしに吹き鳴らされます。1回戦終了後、休憩をはさんで2回戦が行われます。

天筆焼き・竹うち3回戦

2回戦が終わると「天筆焼き」が行われます。神官がお祓いした松鳰(まつにお)に火を点けた後、カマクラ畑に集められた各町内・各戸の天筆が子どもたちや観衆の手により焼かれます。焼いた天筆が空に高く昇れば字が上手になり、成績が上がる、願い事が叶う、といわれています。
天筆焼きが終わると、竹うち3回戦目が始まります。赤々と燃え上がる松鳰を挟んでの竹の打ち合いは、六郷のカマクラのクライマックスです。打ち下ろされる竹の音、木貝、歓声、松鳰の燃える音が入り混じり、男衆の打ち合いも激しさを増します。全3回の戦いの後、カマクラ保存会により勝敗の判定が行われます。
 

竹うち


戦いが終われば同じ町の人々です。激しい打ち合い終えた男衆は松鳰の周囲に集まり、『今年も豊作であるように』と念じながら割れ竹でご神火を打ち合います。火柱が立ち上がり、火の粉が天に舞う幻想的な風景を目にすることができます。

出典:六郷のカマクラリーフレット(美郷町発行)、六郷のカマクラ冊子(六郷町発行)

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